ミノムシのリハビリ場

自分の考えを発信する練習場です

愛情

こんなにも愛しているのに、こんなにも尽くしているのに何で分かってくれないの?って感じたことはありませんか?愛情は一方通行だから見返りはありません。そういうあなたも愛情を受けた相手に何ができますか?愛情を愛情で返しても分かってもらえてない事の方が多いのではないでしょうか。

そもそもなぜ愛情をかけるのでしょうか?自分の思う理想を他者に押し付ける事が愛情だからではないか。我が子への愛情もこう育ってほしいという親のエゴ、ペットへの愛情も飼い主のお節介ですよね。本当の愛情とは相手の理想を叶えるために自分の理想は無視して支援することなのではないか。相手の理想と自分の理想が一致していればよいが、そうでない場合は・・・。間違った方向に進んでいる我が子を愛情で正すことはできない、病人を薬ではなく看病で治そうとするように。

結局は相手の理想と自分の理想の一致する部分で可能な支援をするしかないのが誰も苦しまない愛情表現だろうと思う。何もなければ何もせず見守るのも愛情かもしれません。僕はそんな風に思うわけですが、みなさんはどうでしょうか?

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村

他者との距離感

悩みの大半は人間関係だといわれていますが、どうしたら人間関係ってうまくいくんでしょうね?

僕自身は「親しき中にも礼儀あり」を重視して、どんなに仲良しでも程よく心の距離を置くようにしています。具体的にはあだ名や愛称は使わず必ず○○君、○○さんと呼ぶようにしています。これだけでもかなり距離をとることができます。あまり他者に心を許しすぎると、つい過度に期待してしまいます。こうしてほしいとか、こう言ってくれるはずとか期待してそうじゃなかった時にすごく裏切られた感じになるのは僕だけでしょうか?でもそれは決して裏切りとかじゃなく、いちいち相手は自分の期待している返事を考えながら発言していないだけです。自分だって相手の期待している答えをいちいち考えず、ただ思ったことを言っちゃってます。まさにただのわがまま。他者に期待しない、させないようにするために少し距離をとって接すれば、人間関係が少し楽になると思います。

そもそも関わらない方が良い人を近づけさせないのが大事。「類は友を呼ぶ」というように自分がヤバイやつだと周りもヤバイやつになって、より人間関係に苦しむのではないでしょうか。第一印象って本当に大事で、これが自分の周囲の人間のタイプを決めてしまうといっても過言ではないと思う。本当の自分はより親しくなってからさらけ出すとして、初対面の時は演じてでも真面目であるべき。そうしてある程度ヤバイやつを淘汰してから人間関係を構築するようにしています。ヤバイやつには終始敬語で距離を置き続ける。相手から自分は「良く知らない人」であり続けるのです。

以上ヤバイやつと関わらない。親しくなっても一定の距離は保つ。この二つが僕なりの人間関係を円滑にする方法です。それでは心を許しあう親友はできない、とか反対意見もあるでしょう。でも、他者のことなんて分からないから仕方ないと思います。心を許しあっている親友だと思っているのは自分だけかもしれませんよ。人間関係をこじれさせる根本は自分が相手をコントロールしようとしたり、相手が自分をコントロールしてきたりすることだと思うので、やっぱり適度な距離感をもってお互いが干渉しすぎないことが大切ではないでしょうか。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村

信じる力ってすごくない?

目に見えないものや、存在していないものを「ある」と信じるのって人間が秩序を守るのにすごく重要だと考える。

神様って存在を確かめることはできないけど、常に神様が見ていて悪行には天罰が下るという事で、人の自分勝手な行動を抑制できる。逆に言えば、自分勝手な行動で社会が乱されないように神様を造ったとも言えると思う。そして、その存在をみんなで信じるというのがさらに驚くべき人間の力じゃないでしょうか?

自分たちを縛る概念みたいなものを人は勝手につくりだし、みんなでそれを信じて、守らせる機関までつくってしまうなんてすごい!自然界には弱肉強食という単純なルールしかないというのに・・・。まあその最低限のルールによって人間の都合だけで絶滅した生物もいるし、人間同士の場合は戦争という最悪の事態になるんですけどね(;^ω^)やっぱり秩序は大切。

これって人間に最初から備わっている力じゃなくて教育の賜物じゃないかと思う。「面積の求め方が縦×横」のように、理由もなくただそうなるから当てはめなさいということを幼いころから強要され、納得を強いられてきた結果ではないでしょうか。いつしか理由は考えなくなり、そうゆうものだと洗脳されてしまう。

人間は信じる力で秩序を維持して繁栄できたといえるかもしれないけど、信じる力が偏ると滅びるかもしれない。諸刃の剣を使いこなすために公平な教育が重要。そして、洗脳されすぎず常識を疑い自分の考えをもって行動できたら最強ですね。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村

自己満足のすゝめ

「それってただの自己満足じゃん?」

って言われて、「はぁ?」ってなりました。みんな結局は自己満足を満たすために行動しているんじゃないのかよ!逆に、何のために自己満足にならないことをするのか?

他人のために無償でやってるボランティア活動だって自己満足ありきでしょ?自己犠牲にしか感じてないのであれば、奉仕されている側も恩着せがましくてむしろ迷惑じゃない?

そんな事を考えていると、自己満足を極めたらすごく幸せじゃないだろうかと思った。意外にも自分を満足させる方法が少ない事に気づいたからです。美味しいものを食べるとか、バラエティ番組をみて笑うとか、確かに満足するけれど、どこかちょっと虚しいと感じるからです。それはなぜか・・・

大切なのは満足を誰かと共有することだと分かりました。そうなってくると、

「それってただの自己満足じゃん?」

の意味にやっと気づく。相手が満足してなかったということです。たとえ他人に迷惑をかけていなくても、自分だけが満足することはただの自己中だったのです。自分が満足することが、他者にとっても満足なのか考えて満足を共有できたら「大満足」になるのです。逆に、他者の満足を自分の満足にできてもよいと思います。ああ、だから他人の幸せを自分の幸せのように喜べる人はとても幸せなのかと理解しました。

他人の幸せを喜ぶとか祝うって難しくて、つい妬んでしまうと思います。まずは自己満足を他人と共有して、大満足することから始めませんか?自分のおすすめを教えてあげるとか簡単なことから僕は始めました。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村

生きがいなんて小さくても十分

みなさんは何を生きがいに生きてますか?

仕事ですか?趣味ですか?でも、仕事は基本的に辛いし、趣味がない人もいますよね。生きがいって別に生産性があることや、誰もが楽しめることじゃなくていいと思う。

苦しいことを乗り越えるための目標だったら、正直なんだっていいと思う。ゲームのランキングを上げるとか、来週のドラマの続きが気になるとか、些細なものでも十分です。周囲の人に「は?そんな事?」って言われても関係ない。たとえ自分自身でさえ、こんなしょうもないことを生きがいにしてるんだなって思ったとしても。

生きがいがないことのほうが問題なんです。最初自分はつまらない生きがいしかないカッコ悪い人間だなって思っていたけど、ちょっとした楽しみのために生きるのも素晴らしいことだと最近気づきました(^-^)

こんなしょうもないブログを書くことも自分にとっては生きがいの一つであり、そんな自分が好きだったりします。しょうもないことに生きがいを見出している「アナタ」のことも僕は好きですよ(照)

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村

お金って何だろう?

お金を稼ぐために働いているけど、お金って何ですか?

労働による「お礼」が形を変えて給料や収益としてお金が貰えて、何かを購入したり、サービス受けると逆に「お礼」としてお金を支払っているのでしょうか?要するに、「ありがとう=お金」なのか?最初はそう考えていました。だとすると大勢から感謝されている人がお金持ちになるはずですが、そうじゃない。

では、「奉仕した努力の度合い」でしょうか?しかし、重労働を長時間続けた人がみな金持ちじゃないですよね。ワーキング・プアなんて言葉もありますし、手間暇かけたものが必ずしも高価ではありません。

結局僕なりの結論は、お金とは市場での価値を数値化するための道具にすぎないということです。需要のある希少な物が高価であり、人の場合高給取りになる。これには例外がなさそうです。つまり、お金持ち≠立派な人なのです。

需要と希少性を兼ね備えた高度な技術や知識を得るには努力も必要ですが、お金がかかるのでお金持ちの子はやはりお金持ちになります。お金そのものにも需要と希少性があるので、投資によってお金持ちはますますお金持ちになるのでしょう。

では僕も含めた市場価値のない貧乏人は、どうすればよいのでしょうか?自分の価値をいきなり高めることはできないので、せめてなけなしの金を貯金するしかないでしょう。お金がないから余計にお金を失っている事が多いのです。

例えばお金持ちは高くても良質で長持ちするものを購入できますが、貧乏人は高いものは買えないので粗悪品を何度も購入します。結局安物買いの銭失いとなるのです。医療保険においても、貧乏人は貯金がないから何かあったときのために保険に入るが、保険料を払っているからお金が貯まらないのです。贅沢もしていないのに最悪お金持ちよりも出費が多い場合もあるでしょう。

おっと、貧乏人が貧乏人である所以を解説したかったわけじゃないです。言いたかったのは、お金は所詮市場価値を計る道具でしかないということです。生きている価値を計るものではありません。お金は感謝の気持ちでも、純粋な労働の対価でもないから、お金持ちでない事を卑下する必要もないということです。生きるためにお金は必要ですが、お金のために生きているわけじゃない。お金に囚われて大事なことを見失っていませんか?お金は宝くじなどの運だけで手に入ることもあれば、詐欺や窃盗で盗まれることもあるただの引換券なのですよ。

でも、そもそもお金という紙切れに価値を持たせているものって何でしょうか?信用?人類全体による自己暗示?全くわからん・・・

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村

生きている実感

とれてもせいぜい2連休。半年ほど週1日しか休みがない。さらに、退勤から出勤までの空き時間が9時間きっている日が結構な頻度である。という労働環境でいると、頭がボーっとして、自分が自分じゃない感覚になるって知ってますか?

たとえば、痛み。たしかに痛いんだけど放置して、入浴時にすごい内出血おこしてて焦る。味覚も美味しいものを食べても、美味しいと感じてはいるけど感動は起こらない。何もかもが「ふーん」で終わる、みたいな。

「全ての感覚が脳にダイレクトに伝わらない」という状態です。そしてそれが常態化してきます。特に何も感じず、死んでいるのに動いているまさにゾンビです。

もし、そんな状態に心当たりがあれば勇気をもって休みを取りましょう。僕の場合長期休暇をとって初めて分かりました。最初は食べたものがすごく美味しく感じました。怒りの沸点も下がって、なぜこんな事にいちいち腹を立てていたのかと不思議なくらいです。見たり聞いたりすることがクリアになって、世界が変わったようになります。

これが生きているって事だと実感しました。ゾンビは自分でゾンビになっていることが分からないのもやっかいな点です。きっと放っておくと、僕もまたゾンビに戻るでしょう。だから半年に一回は一週間くらい休むという自分のルールを設けました。

何を言ってるの?って理解できない人はぶっちゃけ幸せです!でも、見渡してみて下さい。実はあなたの周りはゾンビまみれかもしれませんよ。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへ
にほんブログ村