スルーの多い人生だと気づく
先日誕生日を迎えて、何を祝ってるのかふと疑問に感じた。
小さい頃は親が「生まれてきてくれてありがとう」的な感じで祝っていたのだと思う。自分も何となく誕生日はお祝いするものだと刷り込まれていたが、祝うのはおかしい。自分で祝ったり、主張したりするのはなおさら。そんなに自分は貴い存在なのか?と。むしろ年をとって悲しいのでは?七五三みたいにこの年齢まで生きられて感謝しましょうということなのか?
そういえば、魔法陣グルグルというアニメのED「wind climbing~風にあそばれて~」に
誕生日を迎える度に何を祝うのかがずっとナゾだった
年をとることに後悔と一日が過ぎていく恐怖を感じた
という歌詞が自分にとってはしっくりくるなと思った。そんな風に意識して聴いたことは全くなかったですが。
他にもBuzyの「鯨」という曲の
生まれ落ちた罪 生き残る罰 私という存在
大人になる罪 老けていく罰 私という存在
これもしっくりきた。同じく意識して聴いてませんでしたが改めて聴くと、とても感慨深い。
いかに自分が物事をスルーしていたか気付かされた。いつからこんな無関心な人間になったのか。だから、一年があっという間に特にかわりばえもなく終わる。これからの人生も。
今、窓の外をふと見上げて「空が青い、こんな色だったっけ?」とオシャンティーなことを言ってみる。でも、何かが変わった気がした。